天満宮ニュース

 
Zuiki-matsuri:
ずいき祭(瑞饋祭)

 10月1日〜5日
 
本社
(北野天満宮)461-0005
御旅所
(西ノ京御輿岡町)
1日
神幸祭(しんこうさい)
9:30 出御祭
13:00 行列出発→16:00 御旅所着

16:00 着御祭
(八乙女舞奉納)
2日
  
10:00 献茶祭
(表千家宗匠奉仕)

3日
  
15:00 甲御供奉饌
(七保会奉仕)
4日
還幸祭(かんこうさい)
17:00 着御祭
9:30 出御祭
13:00 行列出発→16:00 本社着
5日
15:30后宴祭(ごえんさい)
(八乙女舞奉納)
  

 
4日還幸祭・行列
       第一鳳輦         第二鳳輦           葱華輦          宮廷馬車
            御羽車                導山          梅鉾       松鉾
          本殿神幸祭           ずいき御輿        獅子        甲御供奉饌    
            献茶祭                  八乙女舞            稚児「裃」
北野天満宮ずいき祭りは、数ある京都の秋祭りの先陣を切って10月1日から4日間にわたって行われます。「ずいき祭」の名称は、祭礼期間中御旅所に奉安される「ずいき御輿」に由来しますが、その歴史は古く、このずいき御輿を中心とした、西ノ京を始めとする氏子の祭りは、室町時代には行われていました。この祭りに、明治時代になって神幸祭(神様が氏子区域を巡行する祭)が取り入れられ、現在の形が整いますが、この神幸祭は、一度絶えてしまったものが氏子の人々の手によって復興されたものです。毎年8月4日に行われる当宮の例祭は、かつては北野祭と称し、官祭として本殿祭と神幸祭が一体となって行われていましたが、応仁の乱により神幸祭が途絶え、長らく中断されました。明治の初め、この神幸祭の復興を願った多数の氏子有志が梅風講を組織し、諸具を整え、祭典の必要経費を負担すること等を条件として府に請願した結果、明治8年、私祭として許可されたのです。再興なった神幸祭は、10月1日に西ノ京御輿岡の御旅所へ渡御、3日間駐輦の後本社に還幸(還られる)という現在の日程に定められ、従来の北野祭の8月4日には例祭として本殿祭だけが斎行されるようになりました。また、ずいき御輿も祭礼期間中御旅所に供えられ、10月4日の還幸祭にあわせて氏子区域を練り歩くようになりました。ずいき祭では4日間にいくつかの祭典がおこなわれますが、中でも10月4日の還幸祭は特別の意味を持ちます。単に「巡行を終えた天神様が本社に御帰りになる」というだけでなく、「おいでまつり」の別名が示すように「大宰府で御隠れになった菅原道真公の御霊が神様として初めて北野の地においでになる」という御鎮座の由来を回顧し、再現するという意味もあるのです。かつては氏子区域の人々も1日は平素のように家業に従事しましたが、還幸祭の行われる4日には親類縁者を招いて御馳走を作り、晴れ着をきて、行列に供奉したり、沿道から御輿を拝んだりしたといいます。年に一度、御鎮座の往時に思いを致し、御神霊を「お迎えする」ことで氏神としての天神様を改めて意識し、感謝する心が育まれるのです。
官祭・・・国から一定額の経費が支給される祭
私祭・・・官祭に対して経費を自己負担する祭


One of the representative autumn festivals in kyoto,which lasts for five days from October 1st.
A divine parade including three phoenix floats marches to the subsidiary shrine,"Otabi-sho".
While the deity is staying at "Otabi-sai" a float made of vegetables is offered and several events are carried out.The deity returns to the main shrine on the fourth day.

 【神事】
第一日目、10月1日には午前9時半から鳳輦(ほうれん)に[御霊]を移す出御祭が行われたあと午後1時導山をはじめ三基の鳳輦と松鉾他が本社を出御、宮司以下神職をはじめ氏子崇敬者らが供奉、約150人余が祭列を整え氏子区内を巡行して午後4時頃西ノ京の御旅所に到着、着御祭に引き続き氏子地域より選ぱれた女児による「八乙女田舞(やおとめたまい)」が奉納される(拝観自由)。鳳輦は還幸祭の4日迄ずいき神輿とともに御旅所に駐輦され、その間御旅所には多くの出店が連日午後10時頃まで軒を並べ祭り気分で賑う。二日目は御旅所で表千家久田宗也宗匠による献茶祭、三日目には、西ノ京七保会による甲御供奉饌(かぶとのごくほうせん)行われる。こうして御旅所での三日間に亘る神事を終え、10月4日午前10時御旅所で出御祭が執り行われ、午後1時出御、牛に曳かれた御羽車も加わり祭礼の行列が氏子区内を巡行して午衝4時半頃本社に還御、午後5時還幸祭が行われる。5日には午後3時半より后宴祭があり、拝殿前にて「八乙女田舞]が奉納される(拝観自由〉。

【ずいき神輿】
西ノ京の神人により、ずいき神輿という野菜、乾物等で趣向をこらした絢欄華美な神輿が御旅所に奉られ、10月4日に巡行する。これはかって北野祭(例祭)にお供えとして奉られた野菜を、慶長の頃から一基の大型神輿として作り飾りつけるようになり、屋根はずいき芋(里芋の茎〕で葺き、神輿の各部はすき間もなく穀物や蔬菜(そさい)・湯葉(ゆば)・麩(ふ)などの乾物類で覆われている。
四隅にさがる見事な瓔珞(ようらく)は乾燥した金盞花(きんせんか)の花をびっしりとつけたもので、神輿の四面には、謡曲や昔話から採った人物の造り物などが取り付けられている。江戸時代には八基ほどが各町から出ていたが、今日では西ノ京の2基のみとなっている。


  【甲御供奉饌】 
大永7年(1527)阿波の三好長基が都に攻め入った時、将軍足利義晴の管領細川高国は、これを桂川に迎え撃ったが、敗退した。ところがたまたま入洛していた、越前の守護職朝倉敏景は、これを聞きつけると、西ノ京の神人と協力して三好勢と戦い、長基を阿波に追い落とした。将軍義晴は、神人の功を賞し、3月3日・9月9日を吉例の日として北野天満宮に甲の御供を沙汰したという。以来神人は、年2度の御供を安楽寺一ノ保御供所にて調製し、献供してきたが、明治6年七保会の御供所が廃されたのに伴い中絶された。しかし、明治40年この由緒ある甲の御供の廃絶を惜しむ旧神人(七保会)の努力により復活し、毎年10月3日御旅所にて献供されるようになり今日に至っている。
■ずいき神輿は、ずいき祭期間中(10月1日〜4日午前中)御旅所に展覧される。
4日の巡行路は鳳輦の還幸路と異なるので注意のこと。

■御旅所住所
京都市中京区西大路上ノ下立売通西入ル御輿岡町

 


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